33年の MARIO人生。
odarin 2023.06.26 Mon
Odarin
SAN MARIO 1990-2023
6月 11日 MARIOのスタッフ、オダリンが亡くなった。51才。
この遺影は私が 15年ほど前に撮ったもの。
愛吸していたタバコと、ワイングラスにみんなで献杯した。
BOCCA ROSSO
会場はオダリンが最後まで勤めていたボッカロッソ。
オダリンの MARIO 30年来の仲間たちが集まる。
飲食店関係者が多いから、14時から始まり夜明け近くまで
呑み明かしたと、後から聞いた。
弔いに来てくれたみんなをもてなす永田マネージャ( 現 MARIO社長 )
彼が第一発見者だったらしい。去年に続き、とても体調の悪くなった
オダリンを病院に連れて行くために、予約までしていたのに。
その前日に逝ってしまった。
なつかしの大ちゃんが盛り上げる、寂しくても楽しんで送りたいね。
オダリンと同じく30年来、MARIO No.1 ホールスタッフ
きっちゃんも かけつけてくれた。
そして オダリンの旦那さん、ピーちゃん。彼は1987年から
MARIOのコックで当時の総料理長( マルブン眞鍋社長 )の愛弟子だ。
手にしているのはマネージャの要望で私が描いた、
寄せ書き用のオダリン似顔絵。
似顔絵といっても、最近の写真などほとんどなく、前回この店で
オダリンに会った時も、かなりしんどそうだったから。
いつものキツい表情ではなく、私の知る穏やかだった頃のイメージで
笑顔の写真と重ね合わせた。
ボッカロッソ の赤い壁が、似合っていた気がして。
できた。
「 ありがとう。安らかにね。」
Odarin 1972. 5 / 6 〜 2023. 6 / 11
マネージャに少ない写真を集めてもらい、私が撮っていた写真も
パネルやポスターにして展示した。
私が撮影した中では、一番古い写真。1992年ごろかな?
最初にオダリンがバイトしていた、SOGOスポーツ館 2Fのサンマリオにて。
この頃は MARIOが求人広告出すたびに、お店でも活きのいいスタッフを
撮影して、現場にいるスタッフのリアルな紹介やコメントを入れて、
デザインしていた。だから 90年代の人気スタッフは(主に女性のね)
どの店舗も もれなく撮っている。
当時、そのサンマリオ SOGOスポーツ館の店長が、昨年ラクア緑井の
店舗リニューアルでたいへんだった、ケンちゃんこと川邊店長。
以前からスタッフ教育では定評のある店長で、オダリンは愛弟子でも
一期生のような存在、お互いの信頼も厚い。
そのサンマリオから抜擢され、エスプレッソ袋町店へ。
飛ぶ鳥を落とす勢いで 1、2年ごとに新店を出す MARIOの中でも
珍しい女性初のスーパーバイザー的な社員となった。
マネージャが見ている写真は、
なんと森保監督とのツーショットも。サンフレッチェ時代、
マネージャとのご縁でボッカロッソにも来られていたらしい。
遺影に使われたのは、病む以前の バリバリ活躍してた頃のもの。
どのタイミングで撮ったのか覚えてないけど、この濃紺の壁は
富士見町のマリオデザートで、店の入り口にあったテーブルでよく
打ち合わせしてた時だと思う。
オダリンが保護して一緒に暮らしていた、2匹の猫は
ピーちゃんが引き取ることに。これで安心して
天国に行けるね。
14時から深夜まで、とても多くの人が集まり別れを惜しんだ。
オダリンもあっちで、きっとびっくりしてるだろう。
みなさん、それぞれに感慨深く写真を観ていた。
涙する人も少なくなかった。
かなり酔っていたマネージャが、遺影に向かって何度も
バカやろう! バカやろう!と嘆いていた。
彼の涙が止まらない。
見ていてこの日、初めて涙が出た。
あと 1日早ければ助かってたかもしれない。
でも、昨年のマリオデザート天満屋緑井店の閉店日に
フラフラになりながら、真っ青な顔して先頭に立ち
接客をこなしていたのが、見ていてほんとうに辛かった。
だからやっと楽になれたかな。
オダリン、ありがとう。
もう安らかにね。
そっちでマネージャと MARIOを
見守っていてね。