CANDO CORPORATION
このblogと SNSにドクダミ茶のことを載せたら、BOSSからここまで
飲みに行く〜とのメッセが。いえいえとんでもない〜 お持ちしますよと
いつもの SAKURAさんとちょっと相談もあったので、いっしょに。
でもカンドーに行くのはやっぱり緊張するなぁ。
can-do.co.jp/
ここに来ると、公私においてホスピタリティを追求している
BOSS自ら珈琲を淹れる。BOSSの話を聞きながら、
この緩やかな時間がまた心地いい。
instagram.com/bosskanzy/
使いこなした snow peakのマグがたまらない。
誕生日にいただいたマグを思い出しながら、珈琲の湯気を
口に入れた。
DESIGN OFFICE KAWAHARA
2年ぶりの川原先生にご挨拶。じつは昨年の夏に川原さんが
コロナに感染したとBlogで知って、とても心配だった。
川原さんは長く喘息を患っていて、私が勤めていた90年代も
発作が起きると ひどい時は救急で病院に行かれてたほど。
前々から川原さんがコロナに感染すると、それは
命に関わると思ってたので、不安だったけど
Blogを見ていたらどうやら大丈夫?そう。
食糧や支援もちゃんとされていて、よかった、
ほっとした。
nobukok.exblog.jp/
とはいえコロナ禍で会いに行けば、気を遣わせてしまう。
やっと5類になったことだし、いつものアポなしで厚かましく
紫陽花持って行けば、いつもの無邪気な川原さんが
元気に迎えてくれた。
ほんとありがたいことに。
人生に師と呼べる人は、そんなにいないけど
川原さんが間違いなく No.1。
G 7
HIROSHIMA
思ってたより G7が物騒になって、市内にいても下手に動けない。
まぁ安倍首相が撃たれたり、岸田さんが襲われたりとあったからね
しょうがないけど、前もって想定してたので 広島脱出することに。
去年と同じく 重い身体のメンテナンス兼ねて松山へ。
g7hiroshima.go.jp/
21日朝、なんとかスムーズに宇品まで行けた。前日からウクライナの
ゼレンスキーさんが広島に来たので、ニュースはそればっかり!
フェリーから見た G7会場であるグランドプリンスホテル、洋上も
すごい警備だった。
まず呉港へ、いつ見てもこの景色はいい。
こんなスマホ写真では伝えられない、風情と歴史。
KAWS ?
ブイの落書きが KAWSみたい. 笑
なんとインバウンドなのか、呉港からどどっと外国人観光客ご一行が
乗り込んできて、みなさまで港を撮るわ撮るわ〜
いつもの撮影はあきらめて、2時間半の船旅をゆっくりと。
音戸大橋をくぐれば、しばらく島しかない瀬戸内海。
ゑ び す 丸
松山へ着いたら まずは腹ごしらえ〜 まっすぐ ゑびす丸へ。
日曜日14時過ぎに着いたのに、店内外合わせて
20名以上のウエイティング。眞鍋社長から話には聞いていたけど
いやはやすごい人気。
隣の市場で買い物して、30分も待てば座れた。丼ぶりは回転も早いからね。
ちょっと迷ったけどこの日はしらす丼と鯛出汁ラーメンに〜
これは美味しい〜
出た! 豪快なカツオのたたき、藁焼きだね。
久しぶりの目見田店長、お元気そうでなによりです。
マルブン が初めて松山に2号店「 MARUBUN dk 」を出店した時
彼がチーフコックだった。その以前は板前だったので、マルブンdkの
和風イタリアン料理、そしてこの「 ゑびす丸 」の成功も
目見田くんなしでは あり得なかった。
ezuyalan.com/marubun-dk
やっぱり来てよかった〜 ごちそうさま。
さて施術までちょっと時間があるので、ミーハーな観光客散歩。
久しぶりに来た道後温泉は、なんて姿に。
dogo.jp/construction-report
さて... いよいよ「 神の手 」の治療院へ。
相変わらずの治療もさりながら、生活週間への指摘と指導がすごいのよ。
ありがとうございました。できれば年に 2度は来たいなぁ。
帰るまでちょっと時間が余ったから、近所の八十八ヵ所霊場 第 51番札所
石手寺へ。でも観光客も多かったから、この写真は寺の裏の参道。
野良が足元に絡んでくる。人慣れしてるけど、ちょっと痩せてるなぁ。
にしきそば
さて、帰りはここもなつかしい蕎麦屋さんで。カツ丼とのセット、
ボリュームも味わいも、7年前にオオノ開發社長に
連れて行ってもらった時と変わらずに。
ehimesasurai.blog.jp/
さて広島も落ち着いてる頃だろう。
ちゃんと心からゆっくりできた。
帰ろう。
アスパラは毎年、勝手に生えてきて ありがたいんだけど
去年ぐらいからけっこう太いのが出てくるようになった。毎年 春に
ちょっと肥料を入れてやるのだが、美味しいんだこれが、ベタに。
インスタに上げるから縦写真しかない。
これだと次の日はもう 10㎝近く伸びてしまう。
採るタイミングをよく見ておかないと、食べれなくなる。
例えばこの日のアスパラは 1本のみ収穫、しかも50㎝近く伸びていて
ギリギリセーフ。アスパラの周りは三つ葉も自生しているので、それも
たくさん採った。左の雑草束は事務所で ボトルビオ用に。
Bottle Biotope
EZU design works
事務所のボトルビオトープに挿しておけば、どれも水性化できる草だ。
この赤いクローバーもすぐ根が出てきて、いい感じに。
水槽の伸びすぎたパールグラスを刈って、こちらに挿してみたら
けっこう強く伸びているな。
そのパールグラス、昨年の 10月に 1束もらったんだけど、春になって伸び始め、
3月はこんなになって〜
この後 4月には暴れまくって下草を覆い、収集がつかなくなった。
なので、2/3ほどバッサリカットしてやった。
今年は庭で実生した紅葉を挿してみたら、ちゃんと Aqueous!
さてこの時期の風物詩、ドクダミ茶仕込みをしなくちゃね。
とにかく花を付ける時と、天候とのタイミングがすべてなので。
今年は八重咲のドクダミも多く咲いてた。
やっぱり八重は密やかに儚く。これはお茶にしない。
根ごと抜き取り、きれいに洗う。よく葉の裏に
虫の卵が付いてたりするので、チェックして。
根のリードは付けたまま干すのが、我故郷の島スタイル。
ドクダミ茶のおかげで、島なのに美肌だった母が言うには
この根が大事らしい、漢方的な見解だったが。
それに根ごと抜くと、よりリードが伸びて 来年よく増える。
干したらここから 1週間、とにかく雨が苦手で 屋根の下でも
カビてしまうから気が抜けない。
3日目から天候が崩れそうだったので、今回初めて事務所に避難。
この写真で 1週間目、そろそろ仕上げに入れそうだ。
畑で収穫や作業していると、決まっていつの間にか
近くに寄ってきて見ている。
コラ、その土袋の上に乗るんじゃない。目つきワル。
山椒も例年通りたくさん取れるから、採種してひとつずつヘタを取り
冷凍ストックしておく。家ではちりめん山椒が定番だね。
この写真のザル満タンに実を採ってストックするけど、それでも
たくさん成ってるので、SNSで山椒の実いる人〜と載せたら
すぐリクエストが。しかも意外にも、和食のお店ではなく、、、
pizza Riva
なんと リーヴァさん! マジすか。なんでも軽く乾燥させて
それを潰してから、胡椒のように使ってるらしい。
イタリアにも近いようなものがあるとか、これはぜひ今度、
食べさせてもらわないといけんね。食べに行く口実ができた。
instagram.com/pizzariva_official/
教授が亡くなられた。
1月の高橋幸宏さんに続いて。
YMO は細野さんひとりになった。
戦場のメリークリスマスは
ビートたけしひとりになった。
今年の「 久地の桃源郷 」はいつもより早い春だった。
花や果物、空を撮った時に、古い iPhone写真の限界を感じるなぁ。
最新の 14ならもっと表現力、高いのだろうか。
それにしても今年の桜、ちょっと白くない?
なので心持ち、少し色味を上げてみた。20%UPね。
朝、このベンチで珈琲、飲みたいなぁ。
家の桜ももうちょいと、咲きが弱いかな。
いつもの出社、事務所の机に座り正面の窓から見える景色。
ん? よく見ると電線にハリガネハンガーがぶら下がってる。
たぶんカラスかな。ここにきて 23年になるけど、こんなの初めて。
さてここからしばらくは このハンガーと
毎朝向き合うことになった。
ラピスラズリの烏田先生と、お互いの共通の友のお墓参りへ。
昨年がちょうど 一三回忌だったので、彼が亡くなったインドへ
行きたかったけど、コロナで諦めた。
で、今年は行ってみたいなと、先生に相談したときに
お墓は舟入にあるので、まずはお墓参りに行こうと約束した。
lapistyle.jp/
お墓参りといっても、今時の納骨堂なので しみじみとは
ならなかったけど、この蓋の向こうに 彼の骨があるのかと思うと
13年なんて ついこの間のような気がした。
13年前の今日、彼の親友 前野さんがインドまで行って
ガンジス河で火葬して持ち帰った、彼の骨。
POIVRIERE
ちょっと時間が空いたので、お寺からすぐ近所の
ポワブリエールでお茶を。
poivriere.com/company.html
烏田先生と亡くなった彼と、3人で一緒に会ったことは
生前はなかったけど、こうして先生から彼の昔話を聞いていると
今も草葉の陰から、シャイな彼が笑っているような気がする。
やっぱりできたら
前野さんとインドに行きたいなぁ。
たっちゃんに、逢いに。
A Y A . f
ほんとなつかしい絵図屋の初期スタッフ、AYAがやってきた。
2000年に事務所を開き、初めて正式に雇ったのが彼女で、そこから
6年以上、勤めてくれた。どうやら子育ても安定してきたので
そろそろ本腰入れて、自宅での仕事をこなしたいらしく
ポートフォリオを制作中だとか。相変わらずマメで真面目だね〜。
実は以前から彼女に渡したい物があったので、ちょうどよかった。
それにしても 15年経ってもあまり変わらないな、20の頃から
大人びた子だったし、昔話に盛り上がるわ。
trattoria MARIO
昼になったのでそのままランチへ〜 彼女にとっても縁のある MARIOへ。
トラットリアの兼重店長なら、AYAのこと覚えてるはず。
ピッツアをつまみながら話し、
パスタもシェアして美味しい、うれしいひとときだった。
歳をとったせいか 昔のスタッフさんと会うと、
もう感謝しか沸かない。AYAがいた頃は間違いなく
ダメな私をたくさん見ているのでね、
安月給でよく 6年も助けてくれたもんだ。
ここからまた仕事でも、借りを返せたらいいな。
MURDERED BY THE MUSIC
YUKIHIRO TAKAHASHI
ど田舎の島で育ち「 音楽 」に目覚めたのは、兄が聴いていた影響で
平凡にビートルズからだった。邦楽ではアイドル歌手などには興味なく、
フォークソングやシンガーソングライターというカテゴリーに
ハマってる自分が、ちょっと大人になったような勘違いをしていた。
そんな中学生の頃、Y M O(イエロー・マジック・オーケストラ)が
流行り、その音を後輩の家で初めて聴いた時の場面と、えもいえぬ興奮は
40年以上経った今でも、リアルに思い出せるほど。
土・日にはそいつの家で、昼間っから大音響でリピート。静かな島の
坂道にある家で、おそらくかなりの近所迷惑だったろう。
レコードを購入したらテープにダビングして、また何度も聴く。
なにがそれほど中毒性があったのか、それはもう間違いなく
高橋幸宏のシンセドラムだった。当時のあるあるだけど料理用の菜箸や
木製の物差しを持って、ジャンプなどのマンガ雑誌を床に並べ
曲に合わせて叩きまくる. 笑単調なドラムパターンを完コピできただけで
自分には才能があるんじゃないかと、勘違いしていた。
それから高橋幸宏がソロで出している曲に興味が湧き、
最初に買ったレコードがこの「 音楽殺人 」だった。
YMOとは違い、ほぼ全曲とてもテクノポップで軽快なリズム。
そんな私の青春に欠かせない名役者、高橋幸宏さんが亡くなった。
古いレコードは島の親父が再婚した時、勝手に捨てられたので
リマスターのCDをポチってみた。40年ぶりに聴くキレッキレのドラムに、
あのクセの強いネチっとした歌声。ちゃんと訳して覚えた英語の歌詞も
今でもスラスラと歌える自分に驚いたもんだ。
高橋幸宏さんへ
感謝を込めて、ありがとう。